平成31年/令和元年度研修医

初期研修医
尾崎 孝爾

初期臨床研修医2年目の尾崎孝爾です。私は北大病院で10ヶ月間の研修を行いました。私はもともと東京大学大学院で有機合成化学の研究に従事しておりましたので、少し変わった経歴かもしれません。ここでは精神科研修を希望するに至る過程から研修終了時点までの感想を述べたいと思います。

初めて精神科領域で面白いと感じたのは東大時代に聞いたアリピプラゾールについての授業でした。ちょうど、授業に大塚製薬の研究部門の方がこられて同薬剤についての開発秘話を講演されておりました。「コロンブスの卵」のような発想で合成されたことや既存の抗精神病薬を凌ぐ効果と副作用の少なさが紹介されておりました。当時の印象としては、中枢神経系の薬は受容体への作用も含めてかなり複雑であり、あまり馴染めなかったという苦い経験がありました。一方、ブチロフェノン、フェノチアジンやベンズアミドから種々の抗精神病薬が発展していく様をみていくのは、眺めているだけでも非常に楽しかったのを覚えています。どれが好きかといわれると、フェノチアジンが好きでした。フェノチアジン骨格は精神科領域以外においてもその後、大きく改良が施されていくのは周知の事実です。フェノチアジン系の大きな特徴としてπ軌道による長い共役鎖を有している点ではないでしょうか。大学院時代に取り組んだ課題の一つにポルフィリン、ヘミポルフィラジン化合物が有する長い共役鎖の物性解析があり、そのことをよく思い出します。

私が人の心の在り方にかなり興味が出てきたのはその後の話です。私の人生の大半は学生時代として費やされてきましたが、大学院進学後は研究所で仕事をしていた時期もあり、研究所ではほとんど学生がおらず、周りは自分よりもずっと大人ばかりがいる環境でした。当時の私はかなり無知で、非常識な人間性だったと思われますが、当時は研究者を憧れていた自分に対して満足できず、想像力の面においても限界を感じることも多く、将来について悩むことが多かったと思います。そんな時に、ある職場の関係者からの言葉で目が覚めるような思いをしたことがありました。「君の人生は特別ではない。俺の人生も特別ではない。俺たちはただ社会の歯車として使われていくだけなんだ。人生に意味なんてないよ。」同時期に同じような悩みをもった後輩がいたようですが、彼も相当ショックを受けて、男泣きしていたのを覚えています。我に返って振り返ると、なんと独りぼっちに生活している人の多いことでしょう。この世には一度一人になってしまうとなかなか抜け出せない底なし沼があるのではないか。そういう予感にとらわれて漠然とした不安を覚えたことがあります。これは究極的には自己の弱さとの戦いであり、やがては解決しないとならない課題だと思っていました。反面、世の中の荒波を敏感に感じ取り、生きていくことへの辛さに悩んでいる人がかなり多いのではないかと思うようになりました。将来、医師になったら心を診ることの出来る医師になりたいと思うようになったのはこの頃だったと思います。

医学部に入りなおしてからは、いろいろな病院を見学するうちに高齢者医療をやってみたいと思うようになりました。どの診療科の疾患でも高齢者は多くいらっしゃいましたが、特に認知症の行動・心理症状に苦しむ姿をみて何とかしたいと思いました。学生時代は多くの余暇を疫学の勉強に費やしまし、認知症について出来るだけ勉強しました。行動・心理症状には薬物療法と非薬物療法がありましたが、薬物療法のほうが身近に感じたので、そちらを優先的に勉強しました。当時は抗精神病薬は一括してどれも同じように感じられました。それぞれの抗精神病薬が全く異なる性質であると自覚するようになったのは精神科での研修を始めてから少しずつ知るようになりました。

精神科での研修はそれまでの内科研修とは全然違うように思いました。まず客観的にみて明らかに入院期間が長いということです。もちろん、向精神薬の効果判定に時間がかかるといった実益的な側面もあったかと思います。しかし、考えてみるとこれは当たり前で、何をするにせよまず休息をとることが大事であるという金言を表していると思いました。また、人とのかかわりには時間をかける必要があることを考えれば当然かもしれません。診察する際には距離感というものが大事であると最初に指導を受けましたが、かなり難しいと感じたことがありました。困難に直面すると、あれだけ熱心に上級医の先生方からご指導を受けているにもかかわらず、はっきり言って、「自分は精神科に全く向いていないんじゃないか」「やっぱり東大に戻って専門を再考したほうがいいんじゃないか」と思ったことも時々ありましたが、その都度なんとなく時間を経過させ我慢していると自然と忘れていくことが出来ました。この観点から言って、他の科の研修と比べて精神科研修では相当な忍耐力を養うことが出来るのではないかと思います。

卒業研究として脳波と向精神薬との関係について考えることが出来たのは嬉しいことでした。なんとなく脳波のαとかβといったギリシャ文字の響きは良く聞こえましたし、高速フーリエ変換を用いるなど、新たな分野を知る良い機会に巡り合えました。私にとってまだまだ不確実さが多い精神科臨床において、脳波は定量的で簡便に測定できる方法でしたので、光明が差したように感じられました。逆に認知機能症状の評価や精神症状といった自覚症状が影響を与えるうる評価尺度については短期間かつ少数症例で綺麗な形にまとめあげるのは難しいと感じましたので、そこを主目標とすることを敢えて避け、手堅さを優先しました。

精神科研修を希望するに至る過程から研修終了時点までの感想を述べてきました。総じて、学ぶところの多かった研修でした。物質的には豊富なクルズスや上級医からの手厚いケアが挙げられますが、過去の多くの専攻医の先生方が記載されておりますので、ここでは割愛致しました。